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翌七日、大蔵省からの天下り組のT(それまでは会長)が新社長に就任した。
Tは、H相銀の自主再建を断念。
Sが買い取ったH相銀株式は、S銀行に渡二月一五日、S銀行頭取のKとH相銀社長のTはPホテルで共同記者会見を行い、合併を正式に発表した。
そして、七月六日、Iは特別背任容疑で、四人組の仲間とともに連捕された。
Iは、株式を買い戻せなかったばかりか、塀の内側に落ちたのである。
一九八六年一0月一日、S銀はH相銀を吸収合併した。
「S銀と大蔵の謀略」といわれたH相銀の合併劇の主役はKのSだった。
フィクサー・Sの存在感は飛躍的に高まった。
以後も、I事件、S事件などで暗躍することとなる。
H相銀は典型的な公私混同経営だった。
ファミリー企業に融資の形でカネをばらまき、一族の資産を着実に増やすという、実にわかりやすい経営の形態だった。
公私混同の極み、と酷評する向きもある。
主だったファミリー企業を挙げると、ゴルフ場開発のTクラプ、海外での鉱山、木材、漁業などを手がけるS通商やS都市開発、A産業などがある。
グループ企業の数は一00社以上にのぼった。
グループへの融資は最終的に六000億円を超えた。
回収不能に陥った不良債権は二000億円前後になった。
一四人組と呼ばれたIらの新しい経営陣は、全貸出額の半分になんなんとする巨額の不良債権を抱えるK家のファミリー企業の整理に着手する。
第一弾は一九八五年二月二八日、Kファミリー企業四六社に対して、「融資の担保としてH相銀の株式やその他の株式、K家の土地や家屋を供出せよ」とする内容証明郵便を送付した。
四二二億円の借入金の担保としてH相銀株式の提供を求めたのである。
Tクラプはいち早く株券を提出したが、Kは拒絶した。
第二弾は同年三月二0日に聞かれた定例の取締役会。
「KK・常務兼本居営業部長を解任し、非常勤取締役とすることを提案する」I・社長(当時)が、Kの解任を提案し、それこそ、あっという間に可決された。
Kにとっては驚天動地の出来事だったらしい。
取締役会に出席していた役員の一人は行員に「色白のK氏の顔が、一瞬、蒼白となり、無言のまま退席した」と語っている。
H相銀は「ご自分の会社の経営に専念するため」と、Kが非常勤取締役になった理由を説明したが、説得力に欠けた。
ここにおいて、IのK一族の追放作戦は完了した。
Kの解任に一番ショックを受けたのは、Eの未亡人・Mだった。
息子のKを社長にするために、Eの娘婿のI・副社長と弟のS社長の追放をIに頼み、首尾よく追い出しに成功したのだが、今度は自分たちがIに切られた。
信頼していたIの裏切りにショックを受けたのも無理はなかった。
飼い犬に手を噛まれたのだ。
だが、未亡人のMはタダでは退かなかった。
Iが想像もしていなかったような手段で反撃に出た。
K家が保有しているH相銀株の売却である。
K家が保有していたH相銀の株式は一二六三万株。
H相銀株式の発行済み株数の三三・五%に相当する。
これだけの株式が手に入れば、経営権を握れる。
銀行側から担保として提出するように求められたK一族は持ち株のすべてを第三者に売却してしまったのだ。
買ったのが、Kの社長・Sである。
買収資金は、S銀行系の繊維商社・Iの子会社Iファイナンスが用立てた。
Iの社長はS銀行の元常務のK。
S銀会長(当時)のIの「裏カード」として、数々の難問を処理してきた人物である。
「S銀行の中興の祖」と称されたIは一九七七年にS銀の頭取、八三年に会長に就任した。
この間、経営危機に陥ったA産業をI商事に吸収合併させたほか、Mダ、Aビールなどの企業再建を手がけた。
頭取就任から四年で都市銀行の中で収益トップの座についた。
八二年には米金融専門誌で「パンカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。
一方、Kは商業学校を出たノンキャリアの叩き上げだ。
Iに抜擢され、S銀行常務にまでのぼりつめた。
副頭取だったIから一九七五年、倒産寸前に陥っていた老舗繊維商社、I(I)に社長として送り込まれ、二年間で再建を果たした。
あれは財界の大物だったEさんから「K兄弟を助けてやってくれ」と、面倒を見るように頼まれたのが発端でした。
Eさんには私もいろんな世話になりましたしね。
話を聞いてみたら、Iさんに、かなりいじめられていると思った。
それで「一族が持っているH相銀株を出しなさい」ということになったんです。
Sは、K一族からH相銀株を譲り受けた経緯をこう語っている。
『S「人われをフィクサーと呼ぶ」』『G誌」一九九三年八月号)Kとの関係を聞かれたSは、僕はKとは親しかったからね。
取引はなかったが、彼とはS銀行の銀座支庖長の時代からで、それ以来、個人的つきあいをしていましたと、このインタビューで答えている。
「(H相銀の株式に関して)S銀行の働きかけはなかったのか」の聞いに、「その当時はなかった」と、Sは否定しているが、それは違う。
SとKはS銀行時代から、S銀のトラブル処理をめぐる地下水脈で深く結ばれていた。
Sの言によれば、「肝胆相照らす仲」である。
Kから融資話が持ち込まれると、SはすぐさまKに購入資金の手当てを打診した。
Kはすぐに、ボスのIに連絡を取った。
S銀行はIファイナンスをスルーして、Sが経営するI実業に、H相互銀行株式の購入資金として八五億円を振り込んだ。
S、K、Iの連携プレーで、S銀が資金を出したのである。
H相銀の株式を購入するための八五億円は、そっくりそのままSの手に渡った。
K解任の日からわずか九日後の三月二九日のことだ。
S本人はH相銀株の名義書き換えのためにH相銀に乗り込んだ。
H相銀の筆頭株主に一躍、躍り出たSが正体を現した瞬間である。
S都市開発とK家の持ち株会社的色彩が強いA産業が、H相銀から融資を受けていた四二二億円を、Sの仲介によってIファイナンスからの融資に切り替え、H相銀からの融資分を一括して返済してしまった。
カネは、S銀行、Iファイナンス、I実業という、まったく同じルートで流れた。
これでH相銀は、K一族の関連会社への担保権の行使ができなくなった。
「事件の陰には女あり」といわれる。
それより確率の高い言葉が「事件の陰には、必ずといっていいほどフィクサー(黒幕)が存在する」だ。
S銀行によるH相互銀行の吸収合併では、旧・K財閥の資金管理会社・Kの社長を務めたSがフィクサーだった。
Sは一九二四年五月、茨城県石岡市で、雑穀商を営む父と母の聞に、長男として生まれた。
三九年三月に地元のT尋常高等小学校を卒業。
I農商青年学校に進んだが、ここを一年で中退して上京。
四二年四月、K(現・J)職員の養成機関であるT鉄道教習所の普通部土木科に入所した。
二年間の教習を終え、M鉄道管理部の保線区に配属になった。
T戦争末期の一九四四年七月、中国に派遣され、終戦を迎えた。
職場に戻るのは一九四六年五月。
Kの常磐線と水戸線の分岐点のT保線区勤務となる。
戦前と同様、鉄道の保守・点検の業務に携わっていたが、ここで、Sに、意外な世界に身を投じる転機が訪れる。
敗戦直後は、価値が完全に入れ替わり、M主義の全盛時代になっていた。
M教条主義の組合に対抗して、右派系のK民主化同盟を結成、Sは反共の闘士となったのである。
K時代に熱中していたのが柔道である。
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